チェルノブイリ:リスクと不確実性とともに暮らす
タイトル:チェルノブイリ:リスクと不確実性とともに暮らす
著者:アボットP., ウォレスC., マティアスB.教授
典拠:Health, Risk & Society、8巻、2号、2006年、105‐121頁。
DOI:10.1080/13698570600677167
キーワード:原子力事故、リスク社会、物語の断絶
概要:1986年のチェルノブイリ原子力事故は「リスク社会」を象徴するタイプの事故の極端な例である。事件の結果は不確定、原因は複雑、今後の展開も予測不能である。その影響を補償することは不可能で、広い範囲に渡る人口に無差別に被害を与えている。本稿では、2003年にロシア、ウクライナおよびベラルーシのチェルノブイリ地域で実施された定性的ケーススタディーに基づいて、地域住民として物語の断絶を経験した人々が経た経験を検証する。これらの分析が示しているのは、情報提供者が彼らの将来をきわめて不確実で予測できないものとして提示する傾向があるということである。彼らは自身がすでに汚染されているかわからないという不確実性に晒され、どこへ行くか何を食べるかについての際どい決定をしなければならない。恐怖、噂そして専門家たちは争うように、災害の実際および潜在的な影響に関する情報を住民に提供するが、提供された情報に対して信頼はあまり寄せられることはなく、意識も少ない。ほとんどの情報提供者は自分たちの生活を続け、リスクがあると分かっていても、「やらねばならぬこと」もしくは「したいこと」をしている。多くの場合、彼らは自身の行動を経済的な事情によるものとする。極貧の中ではたとえ危険な食物でもないよりはましなのだ。本研究では先行研究とは異なり、ソ連邦の崩壊に起因する困難と災害による問題を分離せず、双方が諦観と運命論の根深い感覚の根幹にあるものと捉えて情報提供者における顕著な傾向を検証している。ほとんどの情報提供者は情報、援助、予防措置の不足を政府の責任と見なすが、それらを解消するのに集団行動に訴えることはほとんど皆無である。こうした点は、災害によって被害を受けた集団はその事件に重要な意義を付与し、その結果、関連する政策課題への関心と共にどんどん政治化してくる、と指摘してきた先行研究とは対照的である。
URL:http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/13698570600677167#.Ub5-XdhLOM1