ヘッダー画像

カテゴリー「人類学、文学、芸術」

フォトアルバム”プリピャチ”

タイトル:フォトアルバム”プリピャチ”

所収雑誌名:(ウクライナ語とロシア語) 1976年、1986年

キーワード:写真術、メモリ、プリピャチ

概要:

URL: http://pripyat-city.ru/books/57-fotoalbom.html

http://pripyat-city.ru/books/174-pripyat-fotoalbom-1976.html

放射線の状況とその社会的、そして心理学的な側面

Title: Radiation condition and its social and psychological aspects

Author: V.P.Antonov

Reference: Publication of “Knowledge” Society [общество “Знание”] of the Ukrainian SSR, 1987

Keywords: radiation, social aspect, psychological aspect, liquidation

Abstract: As a result of the accident at the Chernobyl nuclear power plant a situation was developed that was unique in its scale and also in its historical experience, to which psychologically unprepared were not only the general public but also many experts, scientists, leaders.

URL: http://pripyat-city.ru/books/102-radiacionnaya-obstanovka.html

チェルノブイリレガシー:フォトエッセイ

Title: Chernobyl Legacy: A Photo Essay

Author: Fusco, P.

Reference: (2006), [Online]

Keywords: Photography

Abstract: Over twenty years have passed since the meltdown at Chernobyl. Paul Fusco faces the dark legacy of the modern technological nightmare that continues to plague those exposed to its destructive radiation.

URL: http://inmotion.magnumphotos.com/essay/chernobyl

チェルノブイリ原発事故の実相解明への多角的アプローチ- 20 年を機会とする事故被害のまとめ-

タイトル:チェルノブイリ原発事故の実相解明への多角的アプローチ- 20 年を機会とする事故被害のまとめ-

著者:今中哲二

所収雑誌名:トヨタ財団助成研究(2004 年11 月~2006 年10 月)研究報告書

URLhttp://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/reports/kr139/KURRI-KR-139.htm

チェルノブイリの第六感:常に存在する意識のシンボリズム

タイトル:チェルノブイリの第六感:常に存在する意識のシンボリズム

著者:フィリップスS. D.

典拠:Anthropology and Humanism、29巻、2号、159‐185頁、2004年12月。

doi: 10.1525/ahu.2004.29.2.159

キーワード:チェルノブイリ、ウクライナ、記憶、シンボル、博物館

概要:本稿では1986年のチェルノブイリ原発事故における象徴的な生について検証する。チェルノブイリの象徴はリソースのセットとして機能していると考える。すなわち、それらは記憶を生産するとともに、新しい社会を作るための根拠となっている。本分析は、学術的、大衆的言説、文学、博物館におけるチェルノブイリの諸表現に基づいている。具体例と集団記憶に関する議論を通して、災害体験を共有する人々の間でチェルノブイリが第六感のようなもの、あるいは「意識・プラス」を生み出していると主張する。

URL:http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1525/ahu.2004.29.2.159/abstract

チェルノブイリ報道における核バッシング:事実かフィクションか?

タイトル:チェルノブイリ報道における核バッシング:事実かフィクションか?

著者:フリードマンS. M.他

典拠:ジャーナリズム・マスコミュニケーション教育協会年次総会の発表原稿(第72回、ワシントンDC、1989年8月10-13日)

キーワード:テレビ放送、ニュース、核エネルギー、メディア報道、ソ連

概要:原子力報道について批評家たちは、メディアが原子力事故の重要性を過度に強調し、公衆の恐怖を助長し、原子力とリスクへの一般的理解に重要な情報を除外していると批判した。記者や編集者たちの間に反核のバイアスがあると感じている者もいる。チェルノブイリ事故報道の初めの2週間において、そのような批判が当てはまるか検証するための調査を行った。「ニューヨーク・タイムス」「ワシントン・ポスト」「フィラデルフィア・インクワイアラー」「ウォールストリート・ジャーナル」「アレンタウン(ペンシルバニア)」「モーニング・コール」および CBS、NBC、ABCの夜のニュースの報道を分析した。その結果以下のことが明らかとなった。(1)重苦しい事故報道の反面、他諸国における安全記録、事故の歴史、そして核産業の現状の情報を扱っていたのは、新聞およびネットワーク報道のうちわずか25パーセント(しばしばさらに少なかった)だった。(2)そのような情報がニュース報道の基盤となるにも拘らず、国民における核理解を向上させるような、あるいはチェルノブイリ事故の位置づけを明らかにするような情報の提供が不十分だった。(3) 記事とニュース番組においては核支持と反核の意見がバランスよく配置され、恐怖を引き起こすネガティブな情報が過剰に含まれるということはなかった。こうしたことは、これらの新聞やネットワーク報道が核産業や一般的な原子力発電の批判あるい「バッシング」にこの事故を利用していなかったことを示している。(4つの表と20の注を含む)

URL:http://www.eric.ed.gov/ERICWebPortal/search/detailmini.jsp?_nfpb=true&_&ERICExtSearch_SearchValue_0=ED309443&ERICExtSearch_SearchType_0=no&accno=ED309443

チェルノブイリの不快な遺産とダークツーリズム

タイトル:チェルノブイリの不快な遺産とダークツーリズム

著者:ペレスJ. R.

典拠:A Reader in Uncomfortable Heritage and Dark Tourism、メリルS., シュミットL.編、ブランデンブルグ工科大学コットバス校、建築保全学部、2008-2009年。

キーワード:記憶、エッセー

概要:2008年10月から2009年3月のブランデンブルグ工科大学コットバス校建築保全学部は「ダークツーリズムと不快な遺産」と名付けられた研究プロジェクトを開催した。その目的は、ダークツーリズム研究というサブ・ディシプリンの近年の発展に基づき、遺産研究というデシィプリン内における不快、困難あるいは要注意の遺産サイトの成長と現時点での重要性を確認し、認識を発展させることである。…本文より「私が初めてチェルノブイリという名前を聞いたのは14歳の時だった。メキシコ育ちの少年の常として、ウクライナはもちろんソ連のニュースに多く触れることはなかった。私のお気に入りのシンガーソングライターの誰かの短い詩の中だったが、20行ほどの中に『チェルノブイリの空のように暗い』という表現があって、愛から疎外された残酷な状況を表していた。研究を重ね、私はチェルノブイリの原子力発電所で恐ろしい爆発が起こり、広範囲、長期に渡っておぞましい結果をもたらしたことを学んだ…」

URL:http://www.urbain-trop-urbain.fr/wp-content/uploads/2011/04/UHDT_Reader-allege.pdf#page=32

チェルノブイリ 永遠に

タイトル:チェルノブイリ 永遠に

著者:フィリップスS.

典拠:Somatosphere、2011年4月25日。

キーワード:チェルノブイリ、福島、25周年(チェルノブイリ事故)、人類学的ショック

概要:2011年3月11日、巨大地震と津波、津波によって損傷された福島第一原子力発電所における危機の高まりが日本を襲った。福島の事故が明らかにされ放射能汚染程度が明らかに(?!)されると、「これはもう一つのチェルノブイリか?」と世界の人々は考えた。地震からひと月後、日本政府はこの災害をチェルノブイリと同じレベル7に位置づけた。おそらくは、福島第一における状況が進むにつれて、チェルノブイリとの比較が詳しくなされ、話し合われ、異議が唱えられ、拒否されることであろう。現在のところ、1986年のチェルノブイリ原発事故の再認識─それは25周年「記念式典」と重なるものだが─が、事故によって生じた放射性降下物による健康、環境、社会的、文化的および政治的影響に関して様々に熟考する機会を提供してくれよう。

URL:http://somatosphere.net/test/2011/04/chernobyl-forever.html

米国、ソ連、フィンランドにおけるチェルノブイリの新聞報道の記号論的分析

タイトル:米国、ソ連、フィンランドにおけるチェルノブイリの新聞報道の記号論的分析

著者:カウフマンR., ブロムスH.

典拠:Semiotica、70巻、1‐2号、27‐48頁、2009年10月。

doi: 10.1515/semi.1988.70.1-2.27

キーワード:ニュース、マスコミ報道、米国、ソ連、フィンランド

概要:他の災害とは違って、チェルノブイリは世界の国民の心に浸透した。火山、株式市場の暴落、はたまた学生の暴動以上の、唯一戦争に次ぐほどのマスコミ報道がチェルノブイリについてなされた。戦争・平和センターおよびニュースメディアの共同ディレクターとして、「原子力事故は…特異なニュース事件である。この短い核戦争に比するものは何もない」という言葉を引用した。米国、ソ連およびフィンランドの新聞社はそれぞれ異なる方法でチェルノブイリ事故の特異性に迫った。米国とソ連のニュース報道が悲劇的原子力事故における何が本質的な問題かという視点を失っていたが、フィンランドのニュース報道は一石を投じ続け、事実の報道を目指した。

URL:http://www.degruyter.com/view/j/semi.1988.70.issue-1-2/semi.1988.70.1-2.27/semi.1988.70.1-2.27.xml

過剰暴露:デビット・マクミランのチェルノブイリ写真

タイトル:過剰暴露:デビット・マクミランのチェルノブイリ写真

著者:トッドキルA. M.

典拠:CMAJ、2009年5月29日、164巻、11号、1604‐1605頁。

キーワード:写真、記憶、カナダ、博物館

概要:1994年から6か月間ウィニペグの写真家デビッド·マクミランがチェルノブイリ立入禁止区域を訪れ、現代のポンペイの孤独な崩壊を一連の画像に記録した。現在それはオタワにあるカナダ現代写真博物館の永久コレクションに収められている。

URL: http://www.cmaj.ca/content/164/11/1604.full.pdf
http://www.dsmcmillan.com/chernobyl/photographs/

▲ページの先頭へ戻る