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日常の悲劇:ベラルーシの歴史教科書におけるチェルノブイリ事故に関する集合記憶の「ペレストロイカ」

タイトル:日常の悲劇:ベラルーシの歴史教科書におけるチェルノブイリ事故に関する集合記憶の「ペレストロイカ」

著者:ドゥドチクA., ファブリカントM.

典拠:The Anthropology of East Europe Review、30巻、1号、2012年。

キーワード:チェルノブイリ事故、ペレストロイカ、ベラルーシ、ディスコース、ナラティブ、生政治、集合記憶

概要:本稿は、「ペレストロイカ」という歴史的遺産のより一般的なナラティブの枠組み内におけるチェルノブイリ事故のベラルーシ人たちの集団記憶を構築するために歴史教科書の書き手たちが用いた漠然とした戦略に焦点を当てる。1995年から2011年の間の5つの中学校と9つの大学の関連する章におけるディスコースとナラティブの分析によって、一般的なナラティブの枠組みにおける2つの異なる漠然とした戦略が明らかになった。第一は、ベラルーシ人の遺伝子プールへの脅威としてのチェルノブイリという「臓器病説者」的ディスコースであり、それによってバイオパワーと生政治的ディスコースにおける民族主義の社会生物学的解釈が生まれる。この戦略は受動的被害者としての集合記憶という保護装置を浮き上がらせる。第二の対極にある戦略は、チェルノブイリ事故を先行する歴史的時間の結果というよりは初期状況の一つとして捉える見方で、懸命に困難を克服していく者のイメージを当てる。これらの戦略が共に歴史的連続性のひとつの形態としての悲劇の集合記憶を構築するのである。

URL: https://www.scholarworks.iu.edu/journals/index.php/aeer/article/view/1998

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