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タグ「ニュース」

チェルノブイリ報道における核バッシング:事実かフィクションか?

タイトル:チェルノブイリ報道における核バッシング:事実かフィクションか?

著者:フリードマンS. M.他

典拠:ジャーナリズム・マスコミュニケーション教育協会年次総会の発表原稿(第72回、ワシントンDC、1989年8月10-13日)

キーワード:テレビ放送、ニュース、核エネルギー、メディア報道、ソ連

概要:原子力報道について批評家たちは、メディアが原子力事故の重要性を過度に強調し、公衆の恐怖を助長し、原子力とリスクへの一般的理解に重要な情報を除外していると批判した。記者や編集者たちの間に反核のバイアスがあると感じている者もいる。チェルノブイリ事故報道の初めの2週間において、そのような批判が当てはまるか検証するための調査を行った。「ニューヨーク・タイムス」「ワシントン・ポスト」「フィラデルフィア・インクワイアラー」「ウォールストリート・ジャーナル」「アレンタウン(ペンシルバニア)」「モーニング・コール」および CBS、NBC、ABCの夜のニュースの報道を分析した。その結果以下のことが明らかとなった。(1)重苦しい事故報道の反面、他諸国における安全記録、事故の歴史、そして核産業の現状の情報を扱っていたのは、新聞およびネットワーク報道のうちわずか25パーセント(しばしばさらに少なかった)だった。(2)そのような情報がニュース報道の基盤となるにも拘らず、国民における核理解を向上させるような、あるいはチェルノブイリ事故の位置づけを明らかにするような情報の提供が不十分だった。(3) 記事とニュース番組においては核支持と反核の意見がバランスよく配置され、恐怖を引き起こすネガティブな情報が過剰に含まれるということはなかった。こうしたことは、これらの新聞やネットワーク報道が核産業や一般的な原子力発電の批判あるい「バッシング」にこの事故を利用していなかったことを示している。(4つの表と20の注を含む)

URL:http://www.eric.ed.gov/ERICWebPortal/search/detailmini.jsp?_nfpb=true&_&ERICExtSearch_SearchValue_0=ED309443&ERICExtSearch_SearchType_0=no&accno=ED309443

米国、ソ連、フィンランドにおけるチェルノブイリの新聞報道の記号論的分析

タイトル:米国、ソ連、フィンランドにおけるチェルノブイリの新聞報道の記号論的分析

著者:カウフマンR., ブロムスH.

典拠:Semiotica、70巻、1‐2号、27‐48頁、2009年10月。

doi: 10.1515/semi.1988.70.1-2.27

キーワード:ニュース、マスコミ報道、米国、ソ連、フィンランド

概要:他の災害とは違って、チェルノブイリは世界の国民の心に浸透した。火山、株式市場の暴落、はたまた学生の暴動以上の、唯一戦争に次ぐほどのマスコミ報道がチェルノブイリについてなされた。戦争・平和センターおよびニュースメディアの共同ディレクターとして、「原子力事故は…特異なニュース事件である。この短い核戦争に比するものは何もない」という言葉を引用した。米国、ソ連およびフィンランドの新聞社はそれぞれ異なる方法でチェルノブイリ事故の特異性に迫った。米国とソ連のニュース報道が悲劇的原子力事故における何が本質的な問題かという視点を失っていたが、フィンランドのニュース報道は一石を投じ続け、事実の報道を目指した。

URL:http://www.degruyter.com/view/j/semi.1988.70.issue-1-2/semi.1988.70.1-2.27/semi.1988.70.1-2.27.xml

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