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カテゴリー「人類学、文学、芸術」

小説「Worse Than Radiation」と7つの奇妙なチェルノブイリ物語

タイトル:小説「Worse Than Radiation」と7つの奇妙なチェルノブイリ物語

著者:ミルヌィS., ウィリアムスF.編、イリインI., カリニチェンコA., ミルヌィS., ウィリアムスF., イェヴメモフV.訳

典拠:ブダペスト:Bogar Kiado、2001年、77頁。

キーワード:チェルノブイリ、物語、小説、リクビダートル

概要:1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故後の数日、数週間、数か月間、チェルノブイリの破壊された4号炉を閉鎖し、周辺の田園地帯の除染を行う中で数知れぬ市民と軍人が放射能中毒に苦しみ、そして亡くなった。この無計画で危険な除染作業を直に目撃した人の中に作家、科学者、そして元小隊司令官Sergii Mirnyiがいた。彼の短編小説「Worse Than Radiation」は、細心の注意を払ってチェルノブイリ原子力発電所付近の放射性降下物を記録する偵察小隊の奮闘を描いた二部作である。プロパガンダで描かれるような英雄的リクビダートルの物語とは異なり、これは犠牲と無私の行為の物語ではなく、「ゾーン」の労働者の生活にありがちな日常的作業を描いた物語である。

URL:https://www.scholarworks.iu.edu/journals/index.php/aeer/article/view/2001/1972
http://www.mirnyi.arwis.com/book_1/content_hr_e.html

チェルノブイリ原子力事故から25年後のソ連英雄神話との和解:Aleksandr Mindadzeの実存的アクション映画「イノセント・サタデー」の解釈

タイトル:チェルノブイリ原子力事故から25年後のソ連英雄神話との和解:Aleksandr Mindadzeの実存的アクション映画「イノセント・サタデー」の解釈

著者:リンドブラッドJ.

典拠: The Anthropology of East Europe Review、30巻、1号、2012年。

キーワード:ロシア、ウクライナ、ソ連、映画、反応、チェルノブイリ」、原発事故、Mindadze、イノセント・サタデー、英雄神話、実存主義、バフチン、存在の非アリバイ

概要:本論では、チェルノブイリ原発事故から丁度25年後に公開れた、ロシア人ディレクターAlexandr Mindadzeの長編映画「イノセント・サタデー」の分析を行う。ロシア語話者と非ロシア語話者のこの映画に対する反応の比較研究においては、チェルノブイリを「壮大な」歴史的、技術的事故としてではなく、それが人々の心と感情にいかに影響を与えたかという哲学的観点がロシア人の反応において主要なテーマとなっていたのに対して、非ロシア語話者の反応においては程度の差はあれ欠如していたことを明らかにした。こうした反応の分裂を踏まえ、さらにこの作品の解釈学的分析においてはソ連英雄のテーマを探求した。結論としては、Mindadze氏は「逃げない」ヒーローを描きつつ、「あなた自身からの逃避」の実存的不可能性を提示したのであり、こうしてアクション映画の定石のみならず、旧ソ連でいまだ政治的に激しい議論の対象となっているソ連英雄神話に異議を投げかけたのである。

URL:http://scholarworks.iu.edu/journals/index.php/aeer/article/view/2002/1965

テキストとイメージにおける虚空―チェルノブイリへのアプローチ

タイトル:テキストとイメージにおける虚空―チェルノブイリへのアプローチ

著者:ジンクA.

典拠: The Anthropology of East Europe Review、30巻、1号、2012年。

キーワード:ドキュメンタリー(芸術作品)、(不適切な)比較、質問、パープレキシティ、無

概要:たとえわずかであっても、どうしたら最悪のシナリオである原発事故を芸術的に表現することができるか?チェルノブイリは作家、ビジュアルアーティストや映画制作者たちに等しく問題を提起した。事故後の最初の数日から数週間は万事多事多端だったが、今ではそこには生活や活動が欠けているかのようだ。それにも拘らず、ドキュメンタリー作家Jurij Ščerbakと Svetlana Aleksievich、写真家Robert Polidori、ドキュメンタリー映画監督Nikolaus Geyrhalterは、1986年4月26日の出来事とその結果をテキストとイメージに取り込むことができた。何より彼らが伝えるのは事故後を支配した衝撃や無力感である。モノローグを駆使し、影響を受けたものの孤立を強調し、ありがちな比較(例えば第一次世界大戦との)を覆し、慎重に計算された沈黙を通して存在の空虚を際立たせることで、彼らはそれを実現した。

URL:https://www.scholarworks.iu.edu/journals/index.php/aeer/article/view/2007

目に残るチェルノブイリ:個人の記憶の基礎として神話と「チェルノブイリの子ども」の社会的虚数

タイトル:目に残るチェルノブイリ:個人の記憶の基礎として神話と「チェルノブイリの子ども」の社会的虚数

著者:ボドルノヴァS.

典拠:The Anthropology of East Europe Review、30巻、1号、2012年。

キーワード:文化の神話化、社会の神話、チェルノブイリ事故、チェルノブイリの子どもたち、社会的記憶

概要:1986年のチェルノブイリ事故から5~7年経った頃、「チェルノブイリの子どもたち」を援助する社会的気運が放射性降下物の影響を受けたほとんどの地域で盛り上がり、欧米諸国における赤十字や国のチャリティーといった国際的慈善団体の存在によって加速した。「健康旅行」で外国を旅したベラルーシの子どもたち世代にとって、この活動は積極的な意味を持つと同時にトラウマともなる異文化体験であり、チェルノブイリ神話やサブカルチャーの成長を促した。ドイツ、フランス、イタリアを5度旅した著者の個人的記憶、ドイツやイタリアの旅についてインタビューされた友人や親戚による証言、並びに最大のロシア語圏ソーシャルネットワーク「Vkontakte」のオンラインコミュニティの内容を検証してみると、国内外の有力者から特別なケア(「人道的支援」も含め)の対象となったチェルノブイリ被害を受けた地域における生活のあらゆる面は、「ゾーン」の若い住民たちが「チェルノブイリの時代精神」を構築する上で大きな役割を果たしたチェルノブイリ神話に(程度の差こそあれ)基づいているといえる。

URL:https://www.scholarworks.iu.edu/journals/index.php/aeer/article/view/1994

日常の悲劇:ベラルーシの歴史教科書におけるチェルノブイリ事故に関する集合記憶の「ペレストロイカ」

タイトル:日常の悲劇:ベラルーシの歴史教科書におけるチェルノブイリ事故に関する集合記憶の「ペレストロイカ」

著者:ドゥドチクA., ファブリカントM.

典拠:The Anthropology of East Europe Review、30巻、1号、2012年。

キーワード:チェルノブイリ事故、ペレストロイカ、ベラルーシ、ディスコース、ナラティブ、生政治、集合記憶

概要:本稿は、「ペレストロイカ」という歴史的遺産のより一般的なナラティブの枠組み内におけるチェルノブイリ事故のベラルーシ人たちの集団記憶を構築するために歴史教科書の書き手たちが用いた漠然とした戦略に焦点を当てる。1995年から2011年の間の5つの中学校と9つの大学の関連する章におけるディスコースとナラティブの分析によって、一般的なナラティブの枠組みにおける2つの異なる漠然とした戦略が明らかになった。第一は、ベラルーシ人の遺伝子プールへの脅威としてのチェルノブイリという「臓器病説者」的ディスコースであり、それによってバイオパワーと生政治的ディスコースにおける民族主義の社会生物学的解釈が生まれる。この戦略は受動的被害者としての集合記憶という保護装置を浮き上がらせる。第二の対極にある戦略は、チェルノブイリ事故を先行する歴史的時間の結果というよりは初期状況の一つとして捉える見方で、懸命に困難を克服していく者のイメージを当てる。これらの戦略が共に歴史的連続性のひとつの形態としての悲劇の集合記憶を構築するのである。

URL: https://www.scholarworks.iu.edu/journals/index.php/aeer/article/view/1998

大災害後の未来への図解ガイド

タイトル:大災害後の未来への図解ガイド

著者:フィリップスS. D., オスタシェフスキS.

典拠:The Anthropology of East Europe Review、30巻、1号、2012年。

キーワード:チェルノブイリ、プリピャチ、観光、活性化、風刺、視覚的人類学、ウクライナ

概要:本稿は、1986年に原発事故が起きたチェルノブイリ原発周辺30キロの除外ゾーンの一部を「活性化」するための、現実的および仮想的プロジェクトに関する風刺的考察である。この冗談めいた試みで明らかになったのは、汚染ゾーンの「再開発」および「搾取」のためのプロジェクトが、金、イデオロギー、記憶、ファンタジー、安全性、パワー、倫理、そして命そのものの価値といった多くのことに関わるということである。

URL: https://www.scholarworks.iu.edu/journals/index.php/aeer/article/view/2005

政治的象徴、記念碑そして式典におけるチェルノブイリの余波:ベラルーシにおける大惨事の想起

タイトル:政治的象徴、記念碑そして式典におけるチェルノブイリの余波:ベラルーシの大惨事の想起

著者:カスペルスキT.

典拠:The Anthropology of East Europe Review、30巻、1号、2012年。

キーワード:ベラルーシ、チェルノブイリ事故、原子力災害、記憶、政治

概要:チェルノブイリ原発事故からの健康および環境への被害がなお続いているにも拘らず、放射性降下物の被害を最も受けた旧ソ連の共和国であるベラルーシの現代の政治状況において、この悲劇的出来事はあまり重視されていない。大惨事に関する公の記憶の脆弱さを理解するために、本稿では、1990年代末までの野党勢力および州当局によって組織されたくつかの記念式典、そしてベラルーシにおけるチェルノブイリ事故に捧げられた記念碑の分析を行う。その結果、それらのさまざまな記憶の形が、この事故を諸々の国家的悲劇の中ひとつの悲劇という枠組みの中に押し込むことにより、あるいは政敵を攻撃し自身の力への願望を正当化する単なる手段としたことにより、あるいはできるだけ早く克服すべき対象と示唆することにより、その特異な意義を消し去ってしまったことが分かった。

URL: http://scholarworks.iu.edu/journals/index.php/aeer/article/view/2000

石と化した廃墟:チェルノブイチ、プリピャチと都市の死

タイトル:石と化した廃墟:チェルノブイチ、プリピャチと都市の死

著者:ドブラスチェクP.

典拠:City: analysis of urban trends, culture, theory, policy, action、14巻、4号、2010年、370‐389頁。

DOI:10.1080/13604813.2010.496190

キーワード:チェルノブイリ、都市黙示録、産業遺跡、表現、映画

概要:本稿では、個人的な経験を通して都市の破滅について考えてもらう。記録として自身で撮影した写真を用いて、2007年初頭におけるチェルノブイリ地域における破壊された原子炉と破壊されたプリピャチの建物への訪問を紹介する。プリピャチは大都市はおろか都市でもないかもしれないが、廃墟としてのその規模は戦後においては特筆すべきものである。西側では、廃墟は通常仮想表現、つまり、いわば生身ではない文学や映画においてのみ見られる。プリピャチの廃墟を体験することによって産業の破滅ということに思考が及び、その前例のない規模によって、街全体の、またおそらく文明そのものの破滅といった瞑想にも誘われる。

URL: http://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/13604813.2010.496190#.Ub6JDthLOM0

チェルノブイリ:リスクと不確実性とともに暮らす

タイトル:チェルノブイリ:リスクと不確実性とともに暮らす

著者:アボットP., ウォレスC., マティアスB.教授

典拠:Health, Risk & Society、8巻、2号、2006年、105‐121頁。

DOI:10.1080/13698570600677167

キーワード:原子力事故、リスク社会、物語の断絶

概要:1986年のチェルノブイリ原子力事故は「リスク社会」を象徴するタイプの事故の極端な例である。事件の結果は不確定、原因は複雑、今後の展開も予測不能である。その影響を補償することは不可能で、広い範囲に渡る人口に無差別に被害を与えている。本稿では、2003年にロシア、ウクライナおよびベラルーシのチェルノブイリ地域で実施された定性的ケーススタディーに基づいて、地域住民として物語の断絶を経験した人々が経た経験を検証する。これらの分析が示しているのは、情報提供者が彼らの将来をきわめて不確実で予測できないものとして提示する傾向があるということである。彼らは自身がすでに汚染されているかわからないという不確実性に晒され、どこへ行くか何を食べるかについての際どい決定をしなければならない。恐怖、噂そして専門家たちは争うように、災害の実際および潜在的な影響に関する情報を住民に提供するが、提供された情報に対して信頼はあまり寄せられることはなく、意識も少ない。ほとんどの情報提供者は自分たちの生活を続け、リスクがあると分かっていても、「やらねばならぬこと」もしくは「したいこと」をしている。多くの場合、彼らは自身の行動を経済的な事情によるものとする。極貧の中ではたとえ危険な食物でもないよりはましなのだ。本研究では先行研究とは異なり、ソ連邦の崩壊に起因する困難と災害による問題を分離せず、双方が諦観と運命論の根深い感覚の根幹にあるものと捉えて情報提供者における顕著な傾向を検証している。ほとんどの情報提供者は情報、援助、予防措置の不足を政府の責任と見なすが、それらを解消するのに集団行動に訴えることはほとんど皆無である。こうした点は、災害によって被害を受けた集団はその事件に重要な意義を付与し、その結果、関連する政策課題への関心と共にどんどん政治化してくる、と指摘してきた先行研究とは対照的である。

URL:http://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/13698570600677167#.Ub5-XdhLOM1

チェルノブイリの記憶、記念行事そして表現:序章

タイトル:チェルノブイリの記憶、記念式典そして表現:序章

著者:アルントM.

典拠:Anthropology of East Europe Review、30(1)、現代史センター、ポツダム、レイチェル·カーソンセンター、ミュンヘン、2012年春。

キーワード:チェルノブイリ事故、原子力、記憶、記念行事、ベラルーシ

概要:AEERの本特集はチェルノブイリの記憶、記念行事、そして表現に捧げられている。特集のアイデアは2011年4月ドイツのポツダムにおける国際的研究プロジェクトの最終会議「チェルノブイリ後の政治と社会」で生まれた。この会議は、日本における津波とその後の原子力事故のわずかひと月後、また1986年のチェルノブイリ事故の25周年の数週間前に開催された。

URL:http://scholarworks.dlib.indiana.edu/journals/index.php/aeer/article/viewFile/2009/1959

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